● ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!
藤沢にかかりつけのドクターがいる。
3年ちょい前に江ノ島に引っ越してから
心身ともにずいぶんと助けてもらった。
この先生にお会いするだけで元気が出るので、
今でも月に一度は診てもらいに通っている。
今年の春に、突然妙なことを思いついた。
お世話になっているこの先生に
何かお礼がしたい。
そうだ!私の作品をプレゼントしよう!
ちょうど昔作った作品が手元にあった。
6年前にお仕事で作ったもので、
童話の「ヘンゼルとグレーテル」をテーマにした作品だ。
私の過去の作品は現在福井県小浜市の実家に
置かせてもらっているのだが、
たまたまこれだけをこっちに持って来ていた。
ちょうどいい。
これをプレゼントしよう!
そして、病院を訪れる患者さんたちにも見てもらって
喜んでもらおう!
先生に「プレゼントさせてもらっていいですか」と打診すると、
待合室に飾りましょう、と言ってくださり、
私は嬉々として藤沢まで持って行った。
ところが、である。
毎月、病院に行くたびに、心苦しいのである。
待合室に飾って下さっている「ヘンゼルとグレーテル」が、
亡霊のように私を苦しめるのだ。
6年前の作品なので、もう、申し訳ないぐらいヘタクソだ。
もちろん一生懸命作ったのではあるが、
今見るとあまりにも稚拙でお粗末きわまりない。
見るたびに、
「あああ”〜っ!ヘタでごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」
と土下座して謝りたくなるほど、ひどいシロモノだ。
よくこんなモノをプレゼントしたもんだ。
プレゼントした手前、今さら返して下さいとも言えず、
こんなモノを飾って下さっていることへの
申し訳なさで心苦しくてならない。
自分の作品を誰かにプレゼントする。
それは、手作り作品を作っている人が、
必ず犯してしまう「知らずにやってしまう迷惑な行為」だ。
カバンや小物、食べ物など、実用的なものなら全然オッケーだ。
それなら嬉しい。
しかし、私みたいに、人形など、
実用的でないもの、使い道のないもの、
もう置いておくしかないものをもらっても、
本当にどうしようもない。
私もかつては自分の作品を人にプレゼントしては喜んでいた。
「コレを贈って喜んでもらおう」
という傲慢な発想!
「自分の作品は喜んでもらえる」
と思い込む、これが傲慢でなくて何であろう。
もらった人は一応、喜んではくれる。
まさか、「要らないよ」とは言えない。
でも捨てるに捨てられない。
手作りで作ったものはそうそう捨てられないものだ。
私もかつて、アートフラワーをやっている人に
結婚式のブーケだの、部屋に飾るお花の大群だのと、
一時はアートフラワー責めにされて
大変困ったことがあった。
アートフラワーをやってる人には悪いが、
アレの何がいいのかさっぱりわからない。
しかも、その人の作品はとにかく色といいセンスといい、
美意識的に耐えられないレベルで、
「あんた、アートフラワーやめたら?」
と言いたくなるようなシロモノだった。
しかし、人様が作った手作りのものは、そうそう捨てられない。
何だか申し訳なくて、結局、
親戚のオバチャンに無理矢理プレゼントしたのを覚えている。
(オバチャン、ごめん!;)
そういう迷惑な行為を、自分もかつては、やっていた。
しかし、
「もらったけど、もういらないから返す」
と返しに来た友達がいた。
あれは10数年前。
彼女が病気になり、田舎の病院に入院した時のことだ。
当時私は夫だった人が失業し、なかなか仕事が見つからず、
一時は私の内職だけで家計を支えていた。
本当にお金がなく、お見舞いに行くにも事欠いた。
そこで、閃いたのが、私の作品をお見舞いにしよう、ということだった。
早く友達が回復しますように。
そう祈って、招き猫を作ったのである。
それが貧しかった私の、精一杯のプレゼントだったのだ。
しかし、
「もう要らないから返す」
と言われ、ショックだった。
迷惑なプレゼントだったかもしれないが、
心を込めて作ったのだ。
それを本人に返すとは・・。
だったら、黙って捨てて欲しかった。
でも、それが他人の本音だろう。
それ以来、人にプレゼントするのをためらうようになった。
そして、自分の作品は喜んでもらうどころか、
迷惑きわまりないのだ、と悟るようになった。
・・と言いながら、忘れた頃に襲う、
「プレゼントしたくなる発作」。
かつては、私がさる人にプレゼントした人形が
テレビや新聞で華々しく取り上げられた事があった。
「ご本人や関係者は喜んでいる」
と伝えられたが、本当はあんなもの贈られて
困ってらしたのではなかろうか。
なぜ自分が作ったものを、かくも恥ずかしげもなく
人様にプレゼントしようとするのか。
迷惑なんだよ。
もらった人はどうすりゃいいんだよ。
人様が作ったものを捨てるに捨てられない、ってのは
アートフラワーで判ったでしょ?
もういいかげん、学習しろよ、自分。
・・ってな訳で、今回は本当に懲りた。
もう二度と、人様に、自分の作品を押し付けたりはしません。
作品を買ってくれるのなら別だ。
しかし、自分から強引にプレゼントするのは
迷惑&傲慢以外の何ものでもない。
今、実家に私の昔の作品が大量に残っている。
いつか、このブログで、欲しい人にプレゼント、
ってなことを書いたが、それもやめる。
全部、捨てます。本当に。
捨てるんならウチで個展やってよ、と言って下さった
ギャラリー関係者の方もいらしたが、それもお断りした。
特に2006年以前のものは、
パジコの「ラドール」という石粉粘土を使っていたのだが、
このラドールと言ったら、耐久性が悪く、
すぐ壊れるので破損しまくっている。
(本当にラドールって最悪!)
絵の具もアクリル絵の具を使い、汚くて仕方がない。
とにかく技術的に「お話にならない」レベルのものばかりで、
とてもじゃないが、人様に差し上げられない。
それでもプレゼントしてしまった作品がある。
それをお持ちの皆さま。
どうぞ、遠慮なく捨てて下さい。
本当に、ひどい作品を差し上げてしまって
申し訳ありませんでした。
もう二度と、このようなマネは致しませんので。
さて、ドクターに差し上げた作品だ。
アレを快く引きとって下さった先生には
本当に頭が上がらない。
そしていつまで私は「過去の作品の亡霊」に苦しめられるのか・・。
来月、また待合室で「ヘンゼルとグレーテル」に会うのが恐い。
いつか撤収しに行こうかと思ったりもする。
先生、あんなものを贈りつけたりして、
本当にごめんなさいごめんなさいごめんなさい!(;_;)
3年ちょい前に江ノ島に引っ越してから
心身ともにずいぶんと助けてもらった。
この先生にお会いするだけで元気が出るので、
今でも月に一度は診てもらいに通っている。
今年の春に、突然妙なことを思いついた。
お世話になっているこの先生に
何かお礼がしたい。
そうだ!私の作品をプレゼントしよう!
ちょうど昔作った作品が手元にあった。
6年前にお仕事で作ったもので、
童話の「ヘンゼルとグレーテル」をテーマにした作品だ。
私の過去の作品は現在福井県小浜市の実家に
置かせてもらっているのだが、
たまたまこれだけをこっちに持って来ていた。
ちょうどいい。
これをプレゼントしよう!
そして、病院を訪れる患者さんたちにも見てもらって
喜んでもらおう!
先生に「プレゼントさせてもらっていいですか」と打診すると、
待合室に飾りましょう、と言ってくださり、
私は嬉々として藤沢まで持って行った。
ところが、である。
毎月、病院に行くたびに、心苦しいのである。
待合室に飾って下さっている「ヘンゼルとグレーテル」が、
亡霊のように私を苦しめるのだ。
6年前の作品なので、もう、申し訳ないぐらいヘタクソだ。
もちろん一生懸命作ったのではあるが、
今見るとあまりにも稚拙でお粗末きわまりない。
見るたびに、
「あああ”〜っ!ヘタでごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」
と土下座して謝りたくなるほど、ひどいシロモノだ。
よくこんなモノをプレゼントしたもんだ。
プレゼントした手前、今さら返して下さいとも言えず、
こんなモノを飾って下さっていることへの
申し訳なさで心苦しくてならない。
自分の作品を誰かにプレゼントする。
それは、手作り作品を作っている人が、
必ず犯してしまう「知らずにやってしまう迷惑な行為」だ。
カバンや小物、食べ物など、実用的なものなら全然オッケーだ。
それなら嬉しい。
しかし、私みたいに、人形など、
実用的でないもの、使い道のないもの、
もう置いておくしかないものをもらっても、
本当にどうしようもない。
私もかつては自分の作品を人にプレゼントしては喜んでいた。
「コレを贈って喜んでもらおう」
という傲慢な発想!
「自分の作品は喜んでもらえる」
と思い込む、これが傲慢でなくて何であろう。
もらった人は一応、喜んではくれる。
まさか、「要らないよ」とは言えない。
でも捨てるに捨てられない。
手作りで作ったものはそうそう捨てられないものだ。
私もかつて、アートフラワーをやっている人に
結婚式のブーケだの、部屋に飾るお花の大群だのと、
一時はアートフラワー責めにされて
大変困ったことがあった。
アートフラワーをやってる人には悪いが、
アレの何がいいのかさっぱりわからない。
しかも、その人の作品はとにかく色といいセンスといい、
美意識的に耐えられないレベルで、
「あんた、アートフラワーやめたら?」
と言いたくなるようなシロモノだった。
しかし、人様が作った手作りのものは、そうそう捨てられない。
何だか申し訳なくて、結局、
親戚のオバチャンに無理矢理プレゼントしたのを覚えている。
(オバチャン、ごめん!;)
そういう迷惑な行為を、自分もかつては、やっていた。
しかし、
「もらったけど、もういらないから返す」
と返しに来た友達がいた。
あれは10数年前。
彼女が病気になり、田舎の病院に入院した時のことだ。
当時私は夫だった人が失業し、なかなか仕事が見つからず、
一時は私の内職だけで家計を支えていた。
本当にお金がなく、お見舞いに行くにも事欠いた。
そこで、閃いたのが、私の作品をお見舞いにしよう、ということだった。
早く友達が回復しますように。
そう祈って、招き猫を作ったのである。
それが貧しかった私の、精一杯のプレゼントだったのだ。
しかし、
「もう要らないから返す」
と言われ、ショックだった。
迷惑なプレゼントだったかもしれないが、
心を込めて作ったのだ。
それを本人に返すとは・・。
だったら、黙って捨てて欲しかった。
でも、それが他人の本音だろう。
それ以来、人にプレゼントするのをためらうようになった。
そして、自分の作品は喜んでもらうどころか、
迷惑きわまりないのだ、と悟るようになった。
・・と言いながら、忘れた頃に襲う、
「プレゼントしたくなる発作」。
かつては、私がさる人にプレゼントした人形が
テレビや新聞で華々しく取り上げられた事があった。
「ご本人や関係者は喜んでいる」
と伝えられたが、本当はあんなもの贈られて
困ってらしたのではなかろうか。
なぜ自分が作ったものを、かくも恥ずかしげもなく
人様にプレゼントしようとするのか。
迷惑なんだよ。
もらった人はどうすりゃいいんだよ。
人様が作ったものを捨てるに捨てられない、ってのは
アートフラワーで判ったでしょ?
もういいかげん、学習しろよ、自分。
・・ってな訳で、今回は本当に懲りた。
もう二度と、人様に、自分の作品を押し付けたりはしません。
作品を買ってくれるのなら別だ。
しかし、自分から強引にプレゼントするのは
迷惑&傲慢以外の何ものでもない。
今、実家に私の昔の作品が大量に残っている。
いつか、このブログで、欲しい人にプレゼント、
ってなことを書いたが、それもやめる。
全部、捨てます。本当に。
捨てるんならウチで個展やってよ、と言って下さった
ギャラリー関係者の方もいらしたが、それもお断りした。
特に2006年以前のものは、
パジコの「ラドール」という石粉粘土を使っていたのだが、
このラドールと言ったら、耐久性が悪く、
すぐ壊れるので破損しまくっている。
(本当にラドールって最悪!)
絵の具もアクリル絵の具を使い、汚くて仕方がない。
とにかく技術的に「お話にならない」レベルのものばかりで、
とてもじゃないが、人様に差し上げられない。
それでもプレゼントしてしまった作品がある。
それをお持ちの皆さま。
どうぞ、遠慮なく捨てて下さい。
本当に、ひどい作品を差し上げてしまって
申し訳ありませんでした。
もう二度と、このようなマネは致しませんので。
さて、ドクターに差し上げた作品だ。
アレを快く引きとって下さった先生には
本当に頭が上がらない。
そしていつまで私は「過去の作品の亡霊」に苦しめられるのか・・。
来月、また待合室で「ヘンゼルとグレーテル」に会うのが恐い。
いつか撤収しに行こうかと思ったりもする。
先生、あんなものを贈りつけたりして、
本当にごめんなさいごめんなさいごめんなさい!(;_;)












