キ〜ンコ〜ンカ〜ンコ〜ン。
眠たそうな、のんびりした朝のチャイムの音が教室じゅうに響き渡りました。トシオ兄ちゃんにせかされながらようやく学校にたどり着いたグミちゃんですが、頭も体もまだ起きてないようです。口をぼーっと開けたまま席に座っていると、もっと眠たそうな顔の男の人がガラガラと扉を開けて入って来ました。
「皆さん、おはよう。ごきげんいかが?」
真ん中から分けたちょっと長い髪、黒いクレヨンで丸く塗ったような変てこりんなまゆ毛、長細いたれ目。大きなわし鼻。グミちゃんのお母さんに言わせると、「お公家(くげ)さんみたいな上品な顔」らしいこの人は、山根先生といって、グミちゃんが通う「くすの木小学校」一年二組の担任をしています。男の人にしては話し方や言葉遣いがとても上品で、グミちゃんのお父さんや近所のおじさんたちとはちょっと違います。特に笑うときに「おほほほ」と口をすぼめて女の人みたいなしぐさをするので、グミちゃんは最初はびっくりしました。うちのお母さんかてこんな風に笑わへんわ。いっつも大口開けて「いや、かなんわあ、うわっはっは!」って、お父さんの背中をバンバン叩きながら大声で笑うねんもん。
「やめてくれ。お前の馬鹿ヂカラで骨が折れたらどないすんねん。」
ってお父さんいっつも嫌がってるけど、「またそんなこと言うて。お父さんはホンマにたいそうやねんから。」って、全然気にしてへんねん。
お母さんの笑い声と喋り声が大きいのはくすの木町でも有名で、トシオ兄ちゃんは、
「お母さんが出かけてても、どこにいるかすぐわかる。ごっつい声やから、家の中まで聞こえてくるわ。」
と恥ずかしそうに言っています。お父さんも、自転車の修理を頼みに来た「ミヨシ電器」という電器屋のおじさんに、
「お宅の奥さん元気でよろしいなあ。あんなににぎやかやったら、ラジオもテレビいりませんやろ。」
とからかわれ、
「ほんまや。せっかくお宅でテレビ買うたのに、横であいつがよう喋るもんやから、うるそうてゆっくり見てられへんのですわ。」
とぼやいているほど。
そういえば、お父さんとお兄ちゃんが大好きなプロレス中継をやっているときも、テレビの前にドンと座って、
「何してんの!ガンガンいきぃな!しんきくさいなあ!ボーンと横から突付いたったらええねん!」
と大騒ぎ。うるさいなあ、とトシオ兄ちゃんが言おうものなら、
「あんたは黙っとき!」
とピシャリ。お母さんは今年2月に生まれた弟のマコトをおぶっているので、今にもマコトが落っこちやしないかグミちゃんはハラハラドキドキです。でもお母さんは夢中でテレビにかじりついています。
「そんなこと言うたかて、お母さん、プロレスのこと何にも知らへんやんか。」
トシオ兄ちゃんがお母さんに聞こえないように小声でボソボソ。そうなのです。未だに試合をするリングのことを「土俵」といい、リングから落ちることを「押し出し」というほど、プロレス音痴なお母さん。でもお母さんがあんまり楽しそうなので、お父さんもトシオ兄ちゃんも「しゃあないなあ」とため息をつきつつ、好きなようにさせてあげているのでした。
「青田さん?青田グミさん?」
まだ口を開けたままボーっとしているグミちゃんの頭の上で、山根先生の声がしました。びっくりしたグミちゃんを見て、先生はにっこり。
「お口が開いてますよ。」
・・うぇっ・・キモチわるい・・。思わずグミちゃんはブルブルっと震えてしまいました。この間おじいちゃんに買ってもらった「白雪姫」の絵本の魔女にそっくり。笑うと耳元まで裂けていくかのような大きな口。おほほほと言う笑い方も同じ。きっとわたしもこの人に毒のりんごを食べさせられるんやわ。どうしよう、白雪姫みたいになったら。七人のこびとが助けに来てくれるんかな。・・空想好きのグミちゃんは、先生の顔を見ながら、もうすっかり自分が白雪姫になった気分になっていました。
「さあさあ、一時間目は国語をお勉強いたしましょう。」
山根先生はグミちゃんにひそかに気持ち悪がられているとも知らず、笑顔を振りまきながら喋り始めました。
「来週の日曜日は母の日です。皆さんは母の日を知ってるかしら?いつもお世話になっているお母さんにありがとう、って感謝する日のことですね。そこで今日はお母さん宛てにお手紙を書いてもらいます。そのお手紙をお母さんにプレゼントするのです。」
お手紙?どんなこと書くの?・・あちこちからざわめきが聞こえて来ました。それに答えるかのように、
「どんなことでもいいのです。お母さん、いつもかわいがってくれてありがとう。おいしいごはんを作ってくれてありがとう。宿題を見てくれてありがとう!お母さん、あなたのおかげで毎日元気に学校に行き、楽しくお勉強ができるのです!ああお母さん!ありがごう!」
と、目をつむったまま胸に手を置き、自分の言葉に酔いしれるかのように言いました。
・・やっぱりキモチ悪い。・・
どこから見ても魔女そっくりや。グミちゃんは気持ち悪いといいながらも、恐いもの見たさで山根先生から目を外せません。
「大事なのはお母さんにありがとうという気持ちを伝えることなのです。わかりますか?」
はーいと元気よく答える子供たちの中で、グミちゃんだけが固まったまま山根先生の顔を見つめていました。
先生はわら半紙で出来た原稿用紙を子供たちに配ると、「それではお手紙を書いてみましょう」といい、簡単に書き方を説明し、さっそく書かせました。みんな真剣な顔で鉛筆を動かしています。でもグミちゃんだけが何を書いていいかわからず、鉛筆を持ったままぼんやりしていました。何書いたらええんやろ。お母さんにありがとうってどんなこと?・・魔女にそっくりな山根先生の顔が気になって、ちゃんと先生のお話を聞いていなかったグミちゃんは、何を書いていいやらさっぱりわかりません。そんなグミちゃんの戸惑いを見透かすかのように、山根先生がそーっとグミちゃんに耳打ちしました。
「何でもいいのですよ。お母さんにしてもらって嬉しかったことを書いてみたらどうかしら?」
「・・はい・・」
グミちゃんは小さな声で返事すると、目をつむって考え始めました。
お母さんにしてもらって嬉しかったこと?何かなあ。そんなんあったかなあ。いっつもお母さん、わたしやトシオ兄ちゃんを叱ってるか笑ってるか近所のおばちゃんと喋ってるか、やなあ・・。ふだんのお母さんの姿をグミちゃんはいろいろ思い浮かべました。ガミガミ怒るお母さん。お父さんの背中をバンバン叩きながら大笑いするお母さん。近所のおばさんたちと立ち話しだしたら止まらないおしゃべりなお母さん。プロレス見て興奮するお母さんや、自転車屋さんをしているお父さんを手伝い、体をてきぱき動かしてよく働くお母さんの姿も思い出しました。
自転車の修理だけでなく、時には大八車に自転車やタイヤを積んで配達もするたくましいお母さん。いつもマコトをおんぶしてしんどいだろうに、男の人でも動かすのに大変な大八車を、よっこらしょ、よっこらしょ、とまるで歌うかのように明るくつぶやきながら引いていくのです。グミちゃんはそんなお母さんを見ているといつもお手伝いしたくなって、お母さんと一緒に「よっこらしょ、よっこらしょ」とつぶやきながら、大八車の後ろを一生懸命押してあげるのでした。
「ああ、そうや!」
いろんなお母さんの姿を思い浮かべているうちに、グミちゃんの頭の中でパッと電球が灯りました。そう言えば、この間お母さんがしてくれて嬉しいことあったわ。お父さんもトシオ兄ちゃんもすごいな、って言うてたもん。・・グミちゃんは急に嬉しさがこみ上げてきて、今にも鉛筆が折れそうなほど、ギュッと握りしめました。
「あら青田さん。よっぽどいいことを思い出したのかな?いいお顔をしていますね。」
山根先生にそう言われるとますます嬉しくなって、思わず大声で「はい!」と叫んでしまいました。どこかからか「あははは」とそんなグミちゃんを笑う声がしたけれど、夢中になって書き始めたグミちゃんには全く聞こえていません。グミちゃんはやっと覚えたひらがなで、お母さんへの感謝のお手紙を書き綴りました。
さて、時は日曜日。待ちに待った母の日、この間学校で書いたお手紙を渡す日がやって来ました。グミちゃんは前の日からドキドキそわそわ。そのせいで昨夜はあまり眠れなくて、いつもより早く目が覚めてしまいまったほど。本当は晩ごはんのときに渡したかったけれど、早くお母さんに見せたくて、朝ごはんを食べる前に渡すことにしました。家族みんながちゃぶ台を前に揃い、お母さんがごはんをよそい終わった時、グミちゃんはドキドキしながらわら半紙の原稿用紙をひざに置いたままお母さんに話しかけました。
「お母さん。わたしな、お母さんにプレゼントがあるねん。」
「プレゼント??なんで??」
お母さんはわけがわからずにキョトンとしています。
「お母さん、知らんの?今日は母の日やん。」
トシオ兄ちゃんに言われて、あ〜あ、そうかぁ〜!今日は母の日なんや〜!とようやくお母さんは気づき、たちまち笑顔を浮かべました。
「グミ、お母さんにプレゼントくれるの?嬉しいわぁ!」
「オレもプレゼント渡そう思っててん。まあええわ。先にグミから渡せよ」
もじもじしているグミちゃんを気遣うように優しく言うトシオ兄ちゃんに続いて、お父さんもにこにこ優しい笑顔を浮かべて言いました。
「ほう!グミからお母さんにプレゼントかぁ!すごいなあ!」
グミちゃんと喋るときはいつも「ほう!すごい!たいしたもんや!」とオーバーに相槌を打つクセがあるお父さんは、今日はいちだんと大きな声を出しています。グミちゃんは恥ずかしくなって一瞬たじろいだけれど、思い切ってお母さんにお手紙を渡しました。
「・・はい、これ。お母さんにお手紙書いたん・・。」
「ええ?お手紙??うわ〜、嬉しいなあ。ほな、読ませてもらうわな。」
お母さんはニコニコ笑いながら原稿用紙を広げました。
「えーっと。なになに?・・おかあさんへ。てれびをたたいてくれてありがとう。うれしかったです。グミより。・・・んん??」
テレビを叩いてくれてありがとう??・・・なんのこっちゃ??
一瞬、茶の間に沈黙が走りました。何のことか、どう言う意味なのか、お父さんもお母さんもトシオ兄ちゃんもさっぱりわかりません。
「・・・なあ、グミ。これ、どう言うことなんかなあ?お母さん、ちょっとわからへんのやけど・・」
頑張って書いたグミちゃんを気遣うように、お母さんは優しく問いかけました。
「・・先生が・・山根先生が・・お母さんにしてもらって嬉しかったこと書きなさい、って・・・そやから書いてん・・」
思わぬ沈黙に耐えかねて、グミちゃんは今にも泣きだしそうなか細い声で答えました。
「だいたい、テレビを叩いたって何のことなん?」
トシオ兄ちゃんがそう尋ねると、グミちゃんはうつむいてしまい、
「だって・・だって・・この間お父さんもお兄ちゃんも喜んでたやんか・・・お母さんがテレビ叩いたとき・・」
「はあ??」
「・・この間テレビ見てたとき・・急に映らんようになって・・いっぱいテレビに線が入ってザーザー音がして・・」
「それで??」
お父さんもお母さんもトシオ兄ちゃんも、真剣な顔でグミちゃんの話を聞いています。
「・・電気屋のおっちゃんに見に来てもらお、ってお兄ちゃんが言うたら・・」
「ふんふん」
「ちょっと待ち。こういうときはこうしたらええねん、ってお母さんが・・・」
「ああ、ああ・・思い出したわ!」
トシオ兄ちゃんが大声で叫びました。
「お母さんがテレビの横から空手チョップしたら直ったんや!」
「ああ、そういえばそうやったなあ!やめとけ、壊れる!ってワシとトシオが止めたのに、気合で直すねん!言うて、お前がテレビをゴーンって叩いたらほんまに直ったんや。そうやろ、グミ。あのこと言うてんねやろ?」
お父さんがそう言うと、グミちゃんは「うん」とうなずき、たまりかねたようにわんわん泣き始めました。
「・・嬉しかったんやもん・・テレビ壊れたら坂本九ちゃんも見れへんし、ブーフーウーかて見れへんし、どうしようって思ってたら、お母さんが叩いて直してくれて嬉しかったんやもん・・」
ほんまやもん、ほんまに嬉しかったんやもん。泣きながらそう繰り返すグミちゃんに、お母さんは困ったような、でも嬉しいような顔で言いました。
「そうやな、嬉しかったんやな。お母さんがテレビ叩いて直したこと、ほんまに嬉しかったんやな。ありがとうな。お母さんもグミのお手紙、ごっつう嬉しいわ。一生懸命書いてくれたんやな。ほんまにありがとうやで。」
ひっくひっく言いながら泣くグミちゃんを、お母さんは優しくぎゅっと抱きしめました。
「いやぁ〜、まいったまいった!たいしたもんや!こんな手紙が書けるとは!グミは天才やなあ!」
「またお父さんは。ほんまにたいそうやねんから。」
泣いているグミちゃんをなだめようと必死で誉めたたえるお父さんに、お母さんはいつもの調子で笑いながら突っ込みました。それを見ていたグミちゃんの目から、また涙があふれてきました。実はグミちゃんはこんなお父さんとお母さんのやり取りが、とても仲よさそうに見えて大好きなのです。それはトシオ兄ちゃんも同じみたいで、二人ともしょうがないなあと言った顔を浮かべながら、いつもニヤニヤ笑って見ているのでした。
「さあ、ほなごはん食べよか。お母さん嬉しゅうなって、ごっつうおなか空いてきた!それに今日は母の日や!遠慮せんといっぱい食べるでぇ〜!いただきま〜す!」
お母さんが元気いっぱいの声でそう言うと、
「お前がいっぱい食べるのはいつものことやんか。」
「ほんまやほんまや。」
お父さんもトシオ兄ちゃんもここぞとばかりに顔を見合わせて大笑い。
「へへ〜んだ。ほっといてんか。いっぱい食べるのは元気な証拠や。なあ、グミ。」
グミちゃんはますます嬉しくなって、お母さんの顔を見ながら「うん!」と大きな声で返事をしました。普段と変らない朝の献立なのに、今日のごはんはいつもよりうんとおいしい気がしました。
